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石光 輝男 代表取締役会長
神戸大学経営学部卒業、1952年入社。
1965年、代表取締役社長、1999年、代表取締役会長、2010年、取締役相談役に就任。 |
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当社の歴史は1906年(明治39年)、初代の故石光季男がロサンゼルスで食料品販売を創業したことに始まります。そして、神戸に本拠地を構えたのが1922年(大正11年)、アメリカに移民した日本人向けの物資を輸出すると同時に、アメリカから食品を輸入販売していました。その取り扱い商品のひとつにコーヒー豆があったのです。アメリカでコーヒーの焙煎を勉強した初代は日本に帰ってから、コーヒー豆、焙煎用の釜、豆を挽くグラインダーを輸入し、折りに触れて全国にコーヒーを売り歩いたそうです。今でも当時の釜のひとつが北海道のお得意先に残っています。以来、当社はコーヒーのパイオニアとして今日の発展を築いてきたのです。
90余年の当社の歴史の中に一度だけ空白期間があります。第二次世界大戦でクローズした1943年(昭和18年)から、再開する1951年(昭和26年)までの約8年間です。1951年に事業を再開したとき、初代の年齢はなんと68歳でした。一度は神戸の山中に引込んで農業をして暮らしていたものの、その年齢で事業に再挑戦しようという企業家精神にはつくづく感心させられます。
戦時中、軍用の物資を調達するための統制会社であった日本コーヒー株式会社で、初代が代表取締役を務めたところ、その配当が在庫のコーヒー豆でした。店をクローズしてからも、その噂を聞いてコーヒーを求めてわざわざ訪れる人が後を断たず、再開に踏み切ったということです。
こうした背景があるにせよ、数ある取り扱い品目の中から、幸運にもコーヒーだけを選んで事業を再開したのは、今になって思えば、先見の明があったということになるのでしょう。神戸は日本の中でも進んでいて、戦前からコーヒーを飲ませるミルクホールという形式の庶民的な店がありました。とはいえ、当時はコーヒーがこれほど普及するとは誰も予見していなかった時代ですから、初代の決断は大したものだと思います。戦前のコーヒー豆輸入のピークは、1937年(昭和12年)の8000トン、現在の36万トンとは比べものにならない程度でした。
私が入社したのが再開の翌年の1952年(昭和27年)。当時、初代を含め5人だった従業員は、現在170人以上、神戸本社のほかに全国に4ヶ所の拠点を構えるまでになりました。今日の成長を遂げることができたのは、当社が専門分野であるコーヒーを核に据えて事業を展開してきたこと。また、お客様とも、生産地とも、共存共栄の精神で信頼を築いてきたことにあると言えるでしょう。流通
においては、主にメーカーで導入されているSCM(サプライ・チェーン・マネジメント)を外食産業にも応用して、物流のコストの合理化に目を向け、改革に挑んできました。
企業としての歴史は古いですが、時代の流れをとらえて商品を開発することに関しては、他の企業の1歩先を行っていたと自負していますし、これからもそうありたいと願っています。
当社は専門性を発揮することで発展してきました。各々の部署を担当する社員はその道のエキスパートとなり、それを統合するとどこにも負けない組織になるというのが理想の姿です。そのためには、各々がバイタリティに溢れ、デスクの上だけでなく行動によって知識を得ることが必要です。これからの石光商事を考える上でそのような人材が集まることを期待しています。
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